2008年7月22日(火) 09:20 ▼コメント(4)
この画像撮るために、記憶を頼って夕暮れの札幌中心部をウロついたのよ。
没後40年レオナール・フジタ展
北海道立近代美術館
札幌市中央区北1条西17丁目 ℡ 011-644-6881
会期 2008/7/12(土)~9/4(火)
休館日 毎週月曜日(7/21を除く)、7/22(火)
開館時間 9:30-17:00 (入場は16:30まで)
但し会期中の金曜日は夜間開館 9:30-19:30 (入場は19:00まで)
参考記事:
道産子・片岡球子はゲテモノか?/北海道立近代美術館
あなたの瞳がいとしくて/ワタシのモディリアーニと白い地下
メインはまるで入場券を貼り付けたかのような東側正門ポスター画像。
ワタシが
藤田嗣治(後にレオナール・フジタ)さまを意識したしたのは、もういつのことでしょう。まだ、20年経ってはいないと思います。
バブルの時期ですけど、高額なリトグラフが流行した時期がございましてね。帯広でも、大規模な展示販売会が何度か催されておりました。
東急インさまが会場でしたね、確か。
その時のいずれかにほんと小品、何号っていうんですかね。3号(27.3×22.0cm)以下だと思うのですけれど、藤田画伯のリトグラフも展示されておりまして。今となっては全然ワカンないんですけど、少女の正面だったか横顔だったかの絵でした。その時は「
素晴らしき乳白色の地」なんて言葉も存じませんで、ただ、顔の色の
質感にすごく魅かれたのですよ。「陶器みたいな白だなぁ」
えらく高い価格がついていたんじゃないかなぁ。なんせ、バブル全盛期でしたから。小品のリトグラフにも関わらず、50万円を下ってなかったかと。まぁ、ここらへんはかなりいい加減ですけれど。
ちなみに今回のフジタ展売店の隅の方で販売されていた、「レオナール・フジタ展限定『自画像』リトグラフ」は25万円でございました。
で、それ以来
藤田嗣治さまのことは関心を持って見つめていたのですね。そして、どうも日本の画壇となにかあって、フランスで没したということもなんとなーく気になっていました。まぁ、そこらへんのことは講談社文庫・近藤史人著「藤田嗣治『異邦人』の生涯」あたりをお読みになれば、よぉぉくワカります。
そして、日本の美術界では相変わらず藤田批判が語りつづけられた。
たとえば藤田の死の八年後、一九七六年の「美術クラブ」にはこんな記事が掲載されている。
<政治のことは、一向知りませんと言いながら、戦争にでもなると、それが汚い戦争であろうと、向こう鉢巻をして罪のない人民を死地にかりたてる作品を描く。藤田嗣治はそんなことをしておいて、敗戦したら日本人国籍を抜いて、平気でフランス人に化ける。こんなものを「芸術家」といえるのであろうか。まことに恥ずかしいことである>
これが日本での典型的な藤田のとらえかただった。
(中略)
パリのメディアは、こぞって藤田の死を報じた。パリ国営テレビのニュースはエコール・ド・パリ時代の藤田の活躍を振り返り、「モンパルナスの歴史はこうして少しづつ死んでゆく」と深い哀悼の意を示した。
藤田の遺体は一度ランスの礼拝堂に安置された後、ヴィリエ・ル・バクルに葬られることになった。
墓石には”Leonard Foujita”と、彼が帰化した後の名前だけが彫り込まれた。
二ヵ月後、日本政府は藤田の功績をたたえ、勲一等瑞宝章を授与することを決定した。
藤田の生涯を書き終えようとしている今も心に引っかかっているのは、ヴィリエ・ル・バクルで何とも解釈のしがたい藤田の遺品に出会ったことである。
(中略)
私は担当者に頼み込んでその箱を開けさせてもらうことにした。その箱を片端から調べている途中で、古びた日本人形があらわれたのである。
その人形は体長三十センチほどの大きさで、素朴な童女の顔立ちをしていた。若い頃から手もとにおいてきたものだろうか、赤い衣装は手垢にまみれ、すり切れてぼろぼろになっている。
その日本人形の胸には、フランス政府から授与されたレジオン・ドヌール勲章がしっかり縫いつけられていた。
講談社文庫・近藤史人著「藤田嗣治『異邦人』の生涯」第5章「美の国」へ、より
ワタシの解釈としては、藤田画伯は日本人形に自らを仮託されたのだろうな、と。「私は日本人の代表として、フランスで努力し認められたのだよ」と。死者に鞭打つようなことを平気でする日本の美術界に圧倒的な違和感を持ちながら、やっぱり日本を捨てることはできなかったのだろうな、と。
nanndaka darekani niteruyouna kigasuru
パンフレット表紙 「ライオンのいる構図」群像大作4部作の一部。「犬のいる構図」と対になっております。残りは「争闘Ⅰ」「争闘Ⅱ」。
同中表紙 「幻の」とされる理由が記されております。6年もかけて修復されたんですって。フランスの国家財産として。
同裏表紙 レオナールになられる以前の藤田画伯。人気の絶頂だった頃なんでしょうけどね。この表情に嘘はないのではないかと。
さて土曜日の午前中、前回の道立近代美術館訪問では
哀しい出来事に遭遇してしまったのですけれど、今回は見事に
リベンジを果たしましてね。ポロシャツに染みをつけてしまいましたが、まぁ、よろしい。
意気揚々と入場致しました。屋外に入場券売り場が特設されておりますけれど、そんなものには並びませんでした、ワタシ。
だって、帯広で前売り券買っておいたんですもの。それも、Loppiさまとかじゃなくて、北海道新聞帯広支社さまにワザワザ出向いて、ですね。だって、プリンターでカタカタ打ち出されたものってツマんないじゃないですか。
この日混雑は中程度といってよいのかな。会場内を移動するのに、それほど苦になる状況ではありませんでしたしね。160点余の作品を繰り返し観ることができました。ただ、どこかの大学(だと思う)の学生が大量に流入してきまして、やかましいったら、ありゃしない。どうやら課題を与えられているらしく、熱心(?)にメモをとる姿は
微笑ましかったりしましたが。
受付で配布のリーフレット。今回展示の全作品名が制作年、材質、所蔵先と一緒に記されております。
やはり人が多いとどうしても気になってしまって、作品と
対峙するという気にはなれないんですよね。とりあえず、生の藤田作品を観て感じることができた、というのが収穫と考えるしかない。
最初からカタログは購入するつもりでおりましたから、あとでじっくり考えることもできようか、というのもありましたしね。
でも、結局観られなかったりするんだけれど。
週末、見学は無料なんですって!? その告知のためにわざわざ作ったんですね。とにかく来てくれ、と。さすれば、日本人はお金を落とすと。
ヴィリエ・ル・バクルにある藤田画伯の最後のアトリエのリーフレット。エッソンヌ県で管理しているようで。パリからどれくらいなのかしら。行ったことないけれど(笑)
会場を退出したところに何気なくおいてあったリーフレットなんですけどね、最初なんのものなのかワカラなかったのですよ。藝術に力入れてるっていうか、わざわざ
日本人のためだけにこういったものを作ってしまうんですねぇ。ほんと、感心しましたワタシ。
「乳白色」にたどりつく前の作品には、「親友」
モディリアーニ画伯の作品に類似した印象のもございましてね。感慨深いものがございましたよ。1917年作品の「断崖の若いカップル」、「夢(夜の風景)」、「家族」なんかですね。そうそう、モディリアーニ画伯による「
フジタの肖像」も展示されておりますよ。線描でございますけれど。
没後40年レオナール・フジタ展カタログ表紙 ライオンのいる構図
同裏表紙 ビートルズのホワイト・アルバムを思い出しました。
同カタログより 二人の友達 1926年 個人蔵
乳白色にも色んな色使いがもちろんあるのですけれど、ワタシはこの作品の色使いが一番好きです。展覧会で実際の作品を観ての印象。なんともいえない、不思議な質感ですよね。リトグラフで構わないから、こんなの1枚欲しいな。
同カタログより 花の洗礼 1959年 パリ市近代美術館蔵
この正面を向いている女性の口元なんですけれど、藤田作品の子供の口元と似ているんですよね。子供を描く時モデルはいない、と藤田画伯は仰っているんですけど、この女性もそうなんでしょう。モデルは子供同様、画伯のイメージの中にある。
上記2作品は今回展示作の中でワタシのベスト3の中に入っておりまして。ポストカードも販売されていましたから、購入いたしました。で、残りの1作品なんですけれど、
なんだと思われます?
不思議なことにワタシはそれを忘れてしまったのですよ。「この3点だね」と何度も繰り返し眺めたにも関わらず。カタログを見直してもやはり記憶は戻らない。どうしてなんだろう。その時の感動がどういう理由か
記憶の奥底に仕舞われてしまった。
道立近代美術館ではこのような企画もなされるんですね。帯広でやってもいいんだろうけど、中心部から余りにも遠すぎるからなぁ。
先ほど、
殻付牡蛎(フランスっぽいでしょ)を
レンジで(日本っぽいでしょ)温めていただきました。あのぷっくりとした色はまさに「
素晴らしき乳白色の地」そのものであることに気がつきました。これから、牡蛎を味わうたびに
レオナール・フジタ画伯の絵を思い出すのでしょうね。
これねぇ、見逃してしまったの。だって、気がついたの列車時刻の30分前(哀)。
没後40年を経て、初めて揃った「構図」「争闘」そして「未完の構図」を中心とするレオナール・フジタ展はこれから
約1年をかけて日本を巡ります。できるだけ多くの方々に触れて欲しいと思います。
そして「
藤田嗣治の日本に対する思い」を感じ取ることができたなら、Leonard Foujitaは藤田嗣治となって、日本に帰ってくることができるのでしょう。そんな気がしてなりません。
コメント(4件)
07-22 09:42
とどこ
北海道新聞の連載を見ていました。
この写真かわいくて好きです。
芸術家に向かって、カワイイという表現は
御幣があるかもしれませんが
乳白色の世界は不思議なシュール感が
ありますね・・。
07-22 22:32
端野 萬造
>とどこさま
今日の道新夕刊は「花の洗礼」でしたね。実は今回こちらで紹介させていただいている2作品は今回の出品作品のなかで、気に入ったものなんですよね。会場で他の作品と較べて「いいね。これ」と。
ところがさ、あとで改めてパンフレットを眺めるとしっかり代表作として紹介されているんだ、これが。果たしてワタシの審美眼の確かさなのか、単なる記憶での判断なのか、自信がなくなってくるという。
そして、コメント欄でこんなことカキコしちゃうと、まだ本文完成してないのにネタがなくなってしまうんじゃないかと。
さて、カワイイ藝術家藤田嗣治さまの一生を是非とも、イッセイ尾形さまの主演映画で観てみたい、と思うのはワタシだけかしら。
Foujitaさまのお父さまって、軍医総監をやられたくらいの方ですから、相当の知識人だったと思うのね。そんなオウチで暮らしたことがFoujitaさまの表情に出ておりますわぁ。
09-05 11:55
nanae
二人の友達の写真が載っていて嬉しいです。私もこの作品が大好きだからです。
でもたくさん代表的な作品があり中々 お目にかかれないのでこのブログで見れて嬉しいな。
09-05 23:46
端野 萬造
>nanaeさま
昨日で道立近代美術館での展示は終了してしまったのですね。できればもう一度お伺いしたかったのですけれど、時間帯の都合でシネマ・フロンティア札幌さまで『スカイ・クロラ』を観ることになってしまったという。
http://www.mytokachi.jp/kabamaru_7/entry/366
そうですか、『二人の友達』がお好きだったのですね。ワタシも心魅かれるものがあって、選んだ次第。喜んでいただいて、なんだか良いことをしたような気分です。
ただ、ご存知の通り画像は画像。nanaeさまのように現物の魅力をよくご存知の方や一度でもご覧になったことのある方にとってはイメージを呼び起こすのに適当な素材であると思うのですが。
時たま、会いにきてやってくださいな。その時の気分で同じ作品も違った様子で映りますでしょう、きっと。