2014年03月17日
母娘と父子と女と男/スカイ・クロラに観る感情のゆれ
2008-09-08 07:30:14

前記事で押井守監督の記者会見を引用いたしましたけれど、その冒頭で述べられています通り、スカイ・クロラは「恋愛映画であり、情緒的な映画」です。結局、映像のテクニカルな手法や思春期で身体的な成長が止まってしまい老いることがない「キルドレ」といった存在、「ショーとしての戦争」というシチュエーションの全ては、「恋愛や情緒」を純 粋な形で際立たせるために設定されている。

司令官としてのデスク・ワークモードの水素(スイト)さま。現役のパイロットでもいらっしゃるわけですから、近視というのは結構問題あるんじゃないかと思うのですけど。そうか、眼が良すぎて遠視なんですね、きっと。ねー、なんか図書館戦争の柴崎麻子さまっぽくありません?

ユーイチ君がね、「煙草を吸わない上司は信用しないことにしているんです」って。やたら煙草を吸うキルドレを評して「お話とはいえ、問題あるんじゃないか」っていう頓珍漢な方もいらっしゃいましたね。現実と混同されてる(笑)

ユーイチ君のベッドに顔を埋めてしまう水素さま。このシーンの解釈なんですけど、ワタシ映画鑑賞中はユーイチの前任者栗田仁朗(クリタ・ジンロウ)を偲んでの行為だと思っていました。「忘れられないのね」と。でも、もしかすると違うのかしらぁ
『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』押井守監督記者会見
「人間は感情の動物である」という表現は遣い古されたものでございますけれど、表現というものを突き詰めていくとやっぱりそこに行き着いてしまうものなのでしょうか。
繰り返しになりますけれど、ワタシは押井守監督や過去の作品、そしてスカイ・クロラについてほとんど知識がありませんでした。偶然といってもいいような状況で、この映画に触れることになったわけです。そして、単純に「この映画好きだわ」。好きになることに理屈はありませんよね。そりゃ、理由ですとか言い訳みたいなものは見つけだすことは可能ですけれど、「理屈で好きになるわけではない。好きだから好き」。
ただ、その「好き」っていう感情を他者に伝えるために、色々なテクニックが必要になってくる。人間はとにかく伝わらない、もどかしい生き物ですんでね。「言わなくても気持ちは伝わるよ」なんていうのは単なる偶然であり、共同幻想(思い込み)に過ぎない。
だから、戦争も起こるんです。
話題が拡散してしまいました。この記事、あえてヘッドラインに載せなかったんですけど、おかげさまでマイとかちユーザーには非常に注目度が低くて。低すぎてちょっと驚いているんですが。
他者に見てもらえないかもしれない、という状況にあえて追い込んでもしっかりした記事をカキコできるかどうか、というのがワタシが自分に与えた課題でした。それが、スカイ・クロラという映画に感動したことを証明できる方法のひとつだと考えたからです。「本当にスカイ・クロラが好きなのか?」
人間と機械の境界線が、限りなく曖 昧になった時代。ヒトは、人であることを忘れた。彼(バトー)は生きた人形である。それでも、自分が人間でありたいと求めた男の孤独な魂(ゴースト)の乱交。イノセンス それは、いのち。イノセンスのプロモ・ヴィデオより。
バトーは生きた人形(サイボーグ)でね、その身体の全てが造り物。「残されているのはわずかな脳と、ひとりの女性の記憶だけ。」なのよ。ウワー、せつねぇ。
それでスカイ・クロラに対する愛を証明せんがために、色々調べるわけですよ。好きなもの(ひと)のことは詳しく知っておきたい、というのはまさに自然な感情ですし。そうしますとね、押井守監督作品自体が「自分探しの過程」という分析もあるようなんですが、ワタシの「証明作業」もまさに「自分探し」になってしまいましたね、結果的に。
そんなさなかの8/28、これも偶然にOCTVの日本映画専用チャンネルをつけましたら、アニメーションをやっているわけですよ。大友克洋さま原作の映画、「AKIRA」っぽい画像でしてね。「これって、もしかして」
ビンゴ!、でございました。確信持てたのは最後の最後だったのですけれど「イノセンス[劇場オリジナル版]」でございました。印象深い台詞が随所に散りばめてございまして。で、ワタシが一番痺れてしまったのが、
「バトー忘れないで。あなたがネットにアクセスするとき、私は必ずあなたの傍にいる」
という草薙素子さまのセリフでございました。この言葉を最後に素子さまの魂というか意思というか存在そのものは、再びバトーの横からは消えたわけですけど。でも、バトーの記憶には残る。
「ネットは広大だわ」と少女の義体になった素子さまはつぶやきます。それと深夜の高層ビル群最上階から、裸体で真っ逆さまに落下していくシーンはあまりにも有名。「GOHST IN THE SHELL/攻殻機動隊」
「攻殻機動隊」と「イノセンス」で「人とはなんだ」という問題を押井守監督は描いたと思うのですよ。そして、草薙素子さまとバトーさまの間に存在している「そこはかとない(せつない)想い」が「スカイ・クロラ」では「恋愛」として明確なカタチで草薙水素さまとユーイチくんの間で展開されていく。
そして、ユーイチくんは自分という存在を確固したものにするためにはティーチャーを越えなければならないわけです。だって、ティーチャーに勝たない限り、水素さまを独占することはできないのですもの。そういった意味では、水素さまはユーイチくんの女であり母なのかもしれません。そこの問題が「スカイ・クロラ」では提起されている。「人の生きる意味は?」

この表情、この眼差し。愛し合ったあとのそのものですよね。これは記憶(対仁朗)によるものなのか、今後への期待(対優一)なのか。だんだん後者なんじゃないかって気がしてまいりました。大人の女ですよね。

ユーイチ君とのお食事中におぐしをオールバックにして再登場された水素さま。機動戦士ガンダムのマチルダ・アジャン中尉を思い起こしたのはワタシだけだったのでしょうか!? 「女としての私を意識して欲しい」っていう意思表示ですよね、これ。

全編通してクールな態度、表情だった水素さまがユーイチ君に抱きしめられて唯一崩れてしまったシーン。涙ぐんでるのワカりますぅ?「自分や他人の運命に干渉することを覚えた」辛さや哀しさからの涙でしょうね。
「カッコイイとは、こういうことさ」と糸井重里さまは「紅の豚」にキャッチ・コピーをつけました。ワタシは「スカイ・クロラ」に「生きる意味、ってコンナものかも」とでもつけましょうか。

大編隊で夜間飛行中にですね、ユーイチ君搭乗の散香を見つめる水素さま。「ええっ、いいの? お仕事中なのにこんな眼ぇして」ってツッコみたくなるような眼差しです。ワタシ、この時の表情が一番好き。相手を愛しく想う気持ちが素 直に表れていますもの。
さて、生きていくうえで実は避けることの出来ない「親子の相克」について、やっとたどりつくことができそうですが。
さて、スカイ・クロラで不満な点といいましょうか、残念であったのは、草薙瑞季さまの存在が中途半端というか、謎めいたというか、そんな状態で放って置かれてしまったのでは、ということでしてね。
ユーイチ君に心寄せる女性として、ワタシが愛してやまない栗山千明さまが演じた三ツ矢碧(ミドリ)さまと「胸に梟のタトゥーあり」のコール・ガール、フーコさまの存在があげられます。確かに、この二人の扱われ方っていうのも問題あるなぁ、って気はします。特にフーコさまにはもうちょっと見せ場を作ってあげたかったな、と。でも、まぁ、この二人については割りとどうでもよろしい。
別冊宝島1546「押井守ワークス+スカイ・クロラ」interview01[監督]押井守『世界観は絶対変えてはならない』より
確かに「スカイ・クロラ」のメインは「父親対息子」の対立軸ではあるんです、それは当然。でも、映画により深みを与えるであろう「母対娘」の軸ももっと見たかったな、と。

「さ、いくわよ」とばかりに後ろ手を差し出す水素さまとそれに従う実娘である瑞季さま。手のウゴキに情 感が表現されています。それにしても、この二人が母娘!? 父親はもしかしてティーチャー!?
水素さまがユーイチ君にぽろっと洩らすんですよ。「あの子がだんだんワタシの年齢に近づいてくるのよ」っていうようなことをですね。水素さまはキルドレですから、17歳くらいで肉体的な成長が止まってしまっている。でも、瑞季さまはキルドレなのかそうでないのか、ワカらない。もし、キルドレでなければ、娘は母を越えてしまう。あくまで肉体的なことではありますけれど。
このことに対する途惑いが水素さまにはあるわけです。一種の恐怖感とでもいうのかな。
でも、瑞季さまはそんなこと、全くお構いなしの天真爛漫振り。ま、まだ、本当のおこちゃまですから、無理ないんですが。ここんところの「母娘間の相克、葛藤」をですね、もう少し感じとりたかったな、と。この部分というのは、女性じゃないと難しいのかしらね。原作も映画監督も男性ですしね。脚本は女性なんですけど、あくまで作品は監督のものですからね。

「これでもかっ」っていうほどロストック社散香をボコボコにする、ティーチャー搭乗のラウテルン社スカイリィ。大 型なのはファルスを象徴しているんですって。ファルス、ってなに? ウィキってみましょうか。

あのう、動画でご覧になれますんで是非確認していただきたいんですが、「ティーチャーを撃墜する」とは言ってないんですよ。なんて言っているか、実はこれがスカイ・クロラの大きなテーマなんでしょうね。
再度文字数制限にひっかかってしまいました。追加カキコの気力は残っていません。これにて、終了です。長々のお付き合い、ありがとうございました。
この記事は仮想現実とはなにか/スカイ・クロラのテクニカルな側面の続編でございます。
押井守監督作品 スカイ・クロラThe Sky Crawlers
参考サイト:
»スカイ・クロラ The Sky Crawlers プロモーション映像 /@nifty動画
»スカイ・クロラ The Sky Crawlers/eiga.com
»押井節”全開で各国プレスにポリシー説く/『スカイ・クロラ』ヴェネチア記者会見は重厚な質問続出
»スカイクロラ観賞翌日の興奮fromまんぞうのへりくつ
当初、ひとつの記事にするつもりでしたが、追加カキコを続けているうちに1記事の文字数制限(引用枠800字、本文6,400字)に引っ掛かってしまいまして。あわせてお読みくださいな。なもんですから、本記事は短くなっております。
メインは薬莢の散らばり具合が情け容赦なくてたまりません画像。

前記事で押井守監督の記者会見を引用いたしましたけれど、その冒頭で述べられています通り、スカイ・クロラは「恋愛映画であり、情緒的な映画」です。結局、映像のテクニカルな手法や思春期で身体的な成長が止まってしまい老いることがない「キルドレ」といった存在、「ショーとしての戦争」というシチュエーションの全ては、「恋愛や情緒」を純 粋な形で際立たせるために設定されている。

司令官としてのデスク・ワークモードの水素(スイト)さま。現役のパイロットでもいらっしゃるわけですから、近視というのは結構問題あるんじゃないかと思うのですけど。そうか、眼が良すぎて遠視なんですね、きっと。ねー、なんか図書館戦争の柴崎麻子さまっぽくありません?

ユーイチ君がね、「煙草を吸わない上司は信用しないことにしているんです」って。やたら煙草を吸うキルドレを評して「お話とはいえ、問題あるんじゃないか」っていう頓珍漢な方もいらっしゃいましたね。現実と混同されてる(笑)

ユーイチ君のベッドに顔を埋めてしまう水素さま。このシーンの解釈なんですけど、ワタシ映画鑑賞中はユーイチの前任者栗田仁朗(クリタ・ジンロウ)を偲んでの行為だと思っていました。「忘れられないのね」と。でも、もしかすると違うのかしらぁ
今回妙に自分の中で、非常にエモーショナルな動きが芽生えたというか、恐らく今流行っているような思い切り泣ける映画になるかは別として、非常に切実なドラマになるのではないかと思っています。だから今まで僕が作ってきたものを期待されるとちょっと違うかもしれないし、そんな人は少ないからそれでいいのだけれど(笑)。僕にしては珍しく、わりと本気でドラマに取り組もうというのが最大の動機だったんです。
子供の恋愛だからこそ、僕はドラマになると思っている。若い人たちにとって人生で一番語りやすいというか、一番興味を持てるであろう恋愛に絞って、真正面からやってみようと思います。
柄にもなく、今回はラブシーンとか濡れ場に挑戦しました。現場の連中が驚いていました。どうしちゃったんだって。最近どうしちゃったんだって良く言われますが、それを必要だと判断したからなんです。僕自身、もう一回色っぽく人生を生きてみよう、艶のある人生を生きてみようと最近思いなおしたんです。
『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』押井守監督記者会見
「人間は感情の動物である」という表現は遣い古されたものでございますけれど、表現というものを突き詰めていくとやっぱりそこに行き着いてしまうものなのでしょうか。
繰り返しになりますけれど、ワタシは押井守監督や過去の作品、そしてスカイ・クロラについてほとんど知識がありませんでした。偶然といってもいいような状況で、この映画に触れることになったわけです。そして、単純に「この映画好きだわ」。好きになることに理屈はありませんよね。そりゃ、理由ですとか言い訳みたいなものは見つけだすことは可能ですけれど、「理屈で好きになるわけではない。好きだから好き」。
ただ、その「好き」っていう感情を他者に伝えるために、色々なテクニックが必要になってくる。人間はとにかく伝わらない、もどかしい生き物ですんでね。「言わなくても気持ちは伝わるよ」なんていうのは単なる偶然であり、共同幻想(思い込み)に過ぎない。
だから、戦争も起こるんです。
話題が拡散してしまいました。この記事、あえてヘッドラインに載せなかったんですけど、おかげさまでマイとかちユーザーには非常に注目度が低くて。低すぎてちょっと驚いているんですが。
他者に見てもらえないかもしれない、という状況にあえて追い込んでもしっかりした記事をカキコできるかどうか、というのがワタシが自分に与えた課題でした。それが、スカイ・クロラという映画に感動したことを証明できる方法のひとつだと考えたからです。「本当にスカイ・クロラが好きなのか?」
人間と機械の境界線が、限りなく曖 昧になった時代。ヒトは、人であることを忘れた。彼(バトー)は生きた人形である。それでも、自分が人間でありたいと求めた男の孤独な魂(ゴースト)の乱交。イノセンス それは、いのち。イノセンスのプロモ・ヴィデオより。
バトーは生きた人形(サイボーグ)でね、その身体の全てが造り物。「残されているのはわずかな脳と、ひとりの女性の記憶だけ。」なのよ。ウワー、せつねぇ。
それでスカイ・クロラに対する愛を証明せんがために、色々調べるわけですよ。好きなもの(ひと)のことは詳しく知っておきたい、というのはまさに自然な感情ですし。そうしますとね、押井守監督作品自体が「自分探しの過程」という分析もあるようなんですが、ワタシの「証明作業」もまさに「自分探し」になってしまいましたね、結果的に。
そんなさなかの8/28、これも偶然にOCTVの日本映画専用チャンネルをつけましたら、アニメーションをやっているわけですよ。大友克洋さま原作の映画、「AKIRA」っぽい画像でしてね。「これって、もしかして」
ビンゴ!、でございました。確信持てたのは最後の最後だったのですけれど「イノセンス[劇場オリジナル版]」でございました。印象深い台詞が随所に散りばめてございまして。で、ワタシが一番痺れてしまったのが、
「バトー忘れないで。あなたがネットにアクセスするとき、私は必ずあなたの傍にいる」
という草薙素子さまのセリフでございました。この言葉を最後に素子さまの魂というか意思というか存在そのものは、再びバトーの横からは消えたわけですけど。でも、バトーの記憶には残る。
「ネットは広大だわ」と少女の義体になった素子さまはつぶやきます。それと深夜の高層ビル群最上階から、裸体で真っ逆さまに落下していくシーンはあまりにも有名。「GOHST IN THE SHELL/攻殻機動隊」
「攻殻機動隊」と「イノセンス」で「人とはなんだ」という問題を押井守監督は描いたと思うのですよ。そして、草薙素子さまとバトーさまの間に存在している「そこはかとない(せつない)想い」が「スカイ・クロラ」では「恋愛」として明確なカタチで草薙水素さまとユーイチくんの間で展開されていく。
そして、ユーイチくんは自分という存在を確固したものにするためにはティーチャーを越えなければならないわけです。だって、ティーチャーに勝たない限り、水素さまを独占することはできないのですもの。そういった意味では、水素さまはユーイチくんの女であり母なのかもしれません。そこの問題が「スカイ・クロラ」では提起されている。「人の生きる意味は?」

この表情、この眼差し。愛し合ったあとのそのものですよね。これは記憶(対仁朗)によるものなのか、今後への期待(対優一)なのか。だんだん後者なんじゃないかって気がしてまいりました。大人の女ですよね。

ユーイチ君とのお食事中におぐしをオールバックにして再登場された水素さま。機動戦士ガンダムのマチルダ・アジャン中尉を思い起こしたのはワタシだけだったのでしょうか!? 「女としての私を意識して欲しい」っていう意思表示ですよね、これ。

全編通してクールな態度、表情だった水素さまがユーイチ君に抱きしめられて唯一崩れてしまったシーン。涙ぐんでるのワカりますぅ?「自分や他人の運命に干渉することを覚えた」辛さや哀しさからの涙でしょうね。
「カッコイイとは、こういうことさ」と糸井重里さまは「紅の豚」にキャッチ・コピーをつけました。ワタシは「スカイ・クロラ」に「生きる意味、ってコンナものかも」とでもつけましょうか。

大編隊で夜間飛行中にですね、ユーイチ君搭乗の散香を見つめる水素さま。「ええっ、いいの? お仕事中なのにこんな眼ぇして」ってツッコみたくなるような眼差しです。ワタシ、この時の表情が一番好き。相手を愛しく想う気持ちが素 直に表れていますもの。
さて、生きていくうえで実は避けることの出来ない「親子の相克」について、やっとたどりつくことができそうですが。
さて、スカイ・クロラで不満な点といいましょうか、残念であったのは、草薙瑞季さまの存在が中途半端というか、謎めいたというか、そんな状態で放って置かれてしまったのでは、ということでしてね。
ユーイチ君に心寄せる女性として、ワタシが愛してやまない栗山千明さまが演じた三ツ矢碧(ミドリ)さまと「胸に梟のタトゥーあり」のコール・ガール、フーコさまの存在があげられます。確かに、この二人の扱われ方っていうのも問題あるなぁ、って気はします。特にフーコさまにはもうちょっと見せ場を作ってあげたかったな、と。でも、まぁ、この二人については割りとどうでもよろしい。
神話の時代から、親父というのはたてつく息子や娘をみんな殺すものであって、いつでもかかってこいっていうのがティーチャーなんですよ。だから子供は、自分の世界を造るために親父を殺さなければならないんです。母親は子供たちを守っているんだけど、戦いには参加できない。帰ってくるのをひたすら待っているわけです。
別冊宝島1546「押井守ワークス+スカイ・クロラ」interview01[監督]押井守『世界観は絶対変えてはならない』より
確かに「スカイ・クロラ」のメインは「父親対息子」の対立軸ではあるんです、それは当然。でも、映画により深みを与えるであろう「母対娘」の軸ももっと見たかったな、と。

「さ、いくわよ」とばかりに後ろ手を差し出す水素さまとそれに従う実娘である瑞季さま。手のウゴキに情 感が表現されています。それにしても、この二人が母娘!? 父親はもしかしてティーチャー!?
水素さまがユーイチ君にぽろっと洩らすんですよ。「あの子がだんだんワタシの年齢に近づいてくるのよ」っていうようなことをですね。水素さまはキルドレですから、17歳くらいで肉体的な成長が止まってしまっている。でも、瑞季さまはキルドレなのかそうでないのか、ワカらない。もし、キルドレでなければ、娘は母を越えてしまう。あくまで肉体的なことではありますけれど。
このことに対する途惑いが水素さまにはあるわけです。一種の恐怖感とでもいうのかな。
でも、瑞季さまはそんなこと、全くお構いなしの天真爛漫振り。ま、まだ、本当のおこちゃまですから、無理ないんですが。ここんところの「母娘間の相克、葛藤」をですね、もう少し感じとりたかったな、と。この部分というのは、女性じゃないと難しいのかしらね。原作も映画監督も男性ですしね。脚本は女性なんですけど、あくまで作品は監督のものですからね。

「これでもかっ」っていうほどロストック社散香をボコボコにする、ティーチャー搭乗のラウテルン社スカイリィ。大 型なのはファルスを象徴しているんですって。ファルス、ってなに? ウィキってみましょうか。

あのう、動画でご覧になれますんで是非確認していただきたいんですが、「ティーチャーを撃墜する」とは言ってないんですよ。なんて言っているか、実はこれがスカイ・クロラの大きなテーマなんでしょうね。
再度文字数制限にひっかかってしまいました。追加カキコの気力は残っていません。これにて、終了です。長々のお付き合い、ありがとうございました。
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Posted by きむらまどか at 05:25│Comments(0)
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